コメディカル組織運営研究会
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それほど昔のことではありませんが、私の新人時代の教育はそれは「野蛮」なものでした。病院全体の新入職者向けのオリエンテーションが終わり、夕方リハビリ室のスタッフルームに挨拶に行くと、私の机の上には山のようなカルテ(紙カルテ!)が積んであり、「それ、あなたに担当してもらう患者さんだから、目を通しておいてね」と言われ、出勤初日からスーツ姿で遅くまでカルテを読んでいました。
その後も、「習うより慣れろ」「先輩の背中を見て育て」という感じで、とにかく経験を先にさせ、失敗を含めて何らかの気づきを得て、先輩の技をこっそり盗んだり、書籍で調べたりという学習をしていました。いま振り返ると、重大な失敗をしないように、職場全体で新人のやっていることを気にかけるなどの気づかいはあったのでしょうが、今では考えられませんね。
でも、この「習うより慣れろ」で育った世代が集まって、新人教育の話をすると、この「野蛮」な環境で育ったことを誇りに思っている面があって、新人(若者)の「積極性のなさ」「マニュアル(答え)を求める」「根気のなさ(すぐに折れてしまう)」に対し批判がはじまることが多いような気がします。
『「自分ごと」だと人は育つ』という本は、株式会社博報堂における新入社員教育の取り組みについてまとめた本です。その中に新人(若者)世代の学習に対する姿勢について、書かれていました。
「まず先に経験してから学ぶ(気づく)」という考え方を「帰納的学習」といい、「経験前に理論や全体像を習ってから取り組みを通じて学ぶ(気づく)」という考え方を「演繹的学習」というのだそうです。私の世代の志向する学習は「帰納的学習」、新人世代の志向する学習は「演繹的学習」ということになるでしょうか。
「帰納的学習」「演繹的学習」、どちらが正しいというのではなく、指導する側とされる側の間に学習スタイルについて大きなギャップが存在する可能性があるということなのだと思います。このギャップを認識していないと、お互いに対する違和感を抱えたまま教育が進んでいくことになってしまいます。
教育する側は、最初はマニュアルや全体像を提示する方法を実施し(演繹的学習)、少しずつ臨床経験からのリフレクションを通じて自分で気づきを得る方法を実施していく(帰納的学習)方法にシフトしていくことが、役割になるのかもしれません。
「人は自分が育てられたようにしか、人を育てられない」とは言いますが、自分の教育観、学習観を絶対視することなく、時代の変化に適応していくことも、教育する側の役割なのかもしれません。「ノスタルジーに気をつけろ」と自戒を込めて思います。
『「自分ごと」だと人は育つ』は、トレーナー(教育する側)の心構えなど、医療業界にも応用できる知見がたくさん書かれた本です。興味があれば手に取ることをお勧めします。
2019年10月5日
H.N
[参考・引用図書]
博報堂大学編:「自分ごと」だと人は育つ 博報堂で実践している新入社員OJT 1年間でトレーナーが考えること.日本経済新聞出版社.2014年
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